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M先生
Akeyは4歳〜5歳までお世話になりました。
M先生はAkeyが出会った先生という呼び名の最初の人。

桃園幼稚園のユリ組(Akey5歳)、まつ組(Akey6歳)の担任の先生である。

Akeyは5歳であり、当時先生はきっと60歳を超えていたのではないかと推察される。なんせ、他の先生に比べかなりお年を召されていたようだったからである。

当時、心無い園児同士間では通称「ミイラ先生と呼ばれていた。「みうら」と「ミイラ」を掛けていたのだ。

隙さえあれば悪戯をして怒られる何人かの中おけるAkeyの在籍率は100%に近かった。

自分では覚えていないのだがM先生は、よくAkeyが泥まみれにした上着等を洗濯してくださっていたそうだ。

お顔はうっすらとしか覚えていないのだが、少し現在の美智子皇后様に似てらっしゃったように覚えている。

そういえば文化祭のようなものがあって、虐められていた醜い芋虫が蝶になってみんなの賛美を浴びるHappyエンドのストーリーだったが、Akeyは主人公の芋虫役をやらせてもらったのだ。そのときの友達の一人の台詞である「そんなことばかりしていると損をするぞ!」というのが何故か妙にくっきり覚えている。(その台詞を言ったのは後々つるんで遊ぶことになる縄田君であったことも覚えている。

幼稚園には渋柿とざくろの木があり、クリスマス時期には園児にざくろの実が配られ種を噴出しながら食べたことを覚えている。

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M先生どうもありがとう
ございました!