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HY先生
Akeyは高1でお世話になりました。
HY先生は、体育課の先生で1年G組の担任。Akeyの入った公立高校は人学年でA〜Kまでの11クラスもある大きな学校でした。さすがに学区のトップクラスの生徒が集まるだけあって、みんな粒ぞろいに勉強が良く出来た。

ここからAkeyはバンドにのめりこみ成績はうなぎ下りに下がって行った。先生は青春教師を地で行こうとなさっているかのように見えた。言い換えればどうもその醸し出そうとなさっていた青春感が、自分にとっては上辺だけの薄っぺらなものに見えていたからだ。実際そうではなかったのかもしれないが、当時のAkeyはそのように受け取っていたということだ。

そんな訳で、Akeyとしては特に好きだとか気に入ったとかという感情は抱かなかった。ただ、陸上部の顧問をしていらっしゃっただけのことはあり、走る時のフォームについては、目を引くものがあった。先生の気に入ったフォームで走る生徒に対しては、熱視線を投げかけてらっしゃたことも事実である。(きっと陸上部に引き釣り込みたかったんだろうなと思う。)

Akeyは中学校時代は陸上部に所属していたので、走ることに関してはやや自信があった。実際50m走では6.2秒というスピードで走れていたし、運動会の徒競走では常に1番だった。(とはいえ、運良く学年1番の俊足の橋爪君と走ることがなかったからであるが・・・)

しかし、このささやかな自信は最初の体育の授業で打ち砕かれた。自分より足の速い人間が5人もいたのだ。ショックであったが、陸上部に入ろうとは思っていなかったのでショックは一過性のもので、別段後は何とも思わなかった。

HY先生に関する思い出はあまり無い。話し方が所ショージさんに若干似てたかな?というくらいである。身長は178cmくらいで眉毛はつながっていたように思う。めがねは黒ぶちの四角いフレーム。(結構憶えているな・・・)

今になって成績が下がった理由を思い起こしてみると、担任の先生の興味が湧かなかったこともあるが、やはり学校のレベルが高すぎたのではないか?と思われる。理系文系にかかわらず、数学については数IIIまでを2学年で終了するのだ。いわゆる進学校で、東大、京大、阪大に何人入れるのかということが学校のステイタスになっていた時代である。(今もそうかもしれないが・・・)

勉強についてゆけない、新たな遊び(バンド、酒、タバコ)を憶える。ということで一途転落の道を踏み出したのがこのころだった。

また、そのことを悩み先生に相談しようとも特に思わなかった。「どーでもええ」感が行動の大半を占めていたように思う。
HY先生、
きっと僕はいい生徒では
無かったでしょうね!