MENUへ戻る
MRI先生は世界史の先生。別名”びやだる”とも呼ばれていたがこれは先生が身長の割には胴周りが大きかったせいだ。印象深かったのは先生の瞳だ。黒目勝ちなせいもあるのかも知れないが、,何か不気味で、そう、「目が笑っていない」状態でお話をされるのだ。当時のAkeyにとって、これは不気味であった。
たしか、[トルコ石の女達」という小説を執筆されており、高校の近くの本屋の店頭で実物を見かけたことがあったが、買いはしなかった。何か、それを買うことで先生の媚を売ることになるような気がしたからだ。
MRI先生も萩原先生と同じで、特に生徒に関心があるというようには思えなかった。何か、どこか冷めているのだ。
この頃のAkeyはバンド三昧だったこともあり、担任の教諭とコミュニケーションをとるということは、日常生活の中ではさほど重要ではないと思っていたように思う。いや、そんな発想すら無かった。
特に進路のことで相談した覚えも無く、どちらかというと何回言葉を交わしたかということを思い出すことが困難なくらいである。
というように当時を振り返ると、学業にはまったく専念していなかった自分が浮かび上がる。実際化学おn実験の時間は常に”代返”を同じグループの少し気の利いた友人にお願いして、Akeyは講堂に忍び込み、ピアノの練習をしていた。それ以外の時は、塀を乗り越え学校の外に出て、行き着けの喫茶店でタバコをふかしていた。
誤解の無いように書き加えておくが、決して,暴力をみだりに振るうような”不良”では無かった。でも、少々、酒とタバコをたしなんでいる自分が、他人より早熟しているという優越感を楽しんでいたことは間違いない。
|