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Y先生は物理の先生。黒板消しを使うときの動作に特徴があり、右手で黒板消しを持ち、黒板の文字を消すときには左手も同じように対照的な動きをするのだ。車のフロントガラス用のワイパーの左側の動きが反対になった状態を思い起こしてもらえばいいだろう。内側→外側というように中心線に対して、対称的な動きをするのだ。
身長はお年の割には高く176cmくらいはあったと思う。いつも実験用のを着ておられ、物腰は非常に柔らかな先生だった。
さすがに、3年生になると、それまで遊んでいた付けが回ったきて、内申書はボロボロ、行けそうな国公立の大学は皆無という状態であった。
そんなAkeyは無謀にも、京都大学を受験したのだ。いくら内申書が悪くとも提出は必要なので、Y先生には恥ずかしながらということで、内申書のご用意をお願いしていた。実際受験申し込み書を提出する日に、内申書を受け取りに物理教官室に行ったら、まったく失念されており、行方知れずの席はずしの状態。そばで見ていた金城先生が不憫に思ったのか、代わりに代筆で準備して下さった。正直物理の先生としては2年の時に習ったこの金城先生の方が好きだった。顔が怖くて口も悪いのだが、人間味のある方だったからだ。
Akeyの高校3年間の担任の先生に関しては、どの方にもあまり人間味を感じなかったというのが正直なところである。
また、このクラスは理系のクラスで、日本史、世界史で共有一次試験(死語?)を受けることになっていたので、それも苦痛だった。とにかくAkeyは社会科関係の学科が嫌いだったからだ。歴史、地理、政治・経済などまったく興味は無かった。敢えて言うなら、倫理社会だけはちょっとだけ興味が持てた。哲学者の残した言葉には何か引かれるものがあったからだ。
「我思うゆえに我あり。」デカルトだっけ?
当時はなんのこっちゃさっぱり解らなかったけれど、今はこう思う。
「考えるから自分という人間が存在するのだ。考えることをしない人間は存在していないことと等価だ。存在している自分のことを考え、その考えに基づいて行動するからその人の存在に価値が生まれるのだ。」
でもまだまだ真理には到達していないように思う。
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